お子様ランチに掲げる旗
ジジネタとかアニメとか
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我思う、故に我有り?
エルゴプラクシーというアニメを見ました。
萌え要素が無いSFものです。結構面白かったです。
さて、この作品の中にコギトの話が出てきます。
デカルトの、我思う故に我有りと言うヤツです。
コギト命題を簡単に説明しますと、
私は、私の存在を疑っている。
→仮に私が存在しなければ、私の存在を疑う事は不可能なはずだ。
→よって、私の存在を疑っている時は、私は存在していなければならない。
ってカンジです。
コギト命題は精神と肉体の二元論に依拠しています。
これって一見正しい様に思えますが、ホントの所、正しいのでしょうか?
私はこの命題、穴がある様に思えるんですよね。
例えば、次の様に考えた場合。
人間の精神は複数の部分から成る集合体である。
具体化&簡略化しますと、
①人間の精神は、部分Aと部分Bの2つの部分から成る集合である。
②部分Aは、部分Bに関して考える事は出来るが、部分A自身に関して考える事は出来ない。
③部分Bは、部分Aに関して考える事は出来るが、部分B自身に関して考える事は出来ない。
この場合、次のような結果が導き出されます。
⒈部分Aは部分A自身を考える事は出来ないので、部分Aの存在を確立する事は出来ない。
⒉部分Bは部分B自身を考える事は出来ないので、部分Bの存在を確立する事は出来ない。
よって、部分の集合である自身の精神の存在を確立させる事は出来ない。
しかし、部分Aと部分Bの思考を合計することで、一応ながら自身の精神全体についての思考は可能である。
ビジュアル化するとより分かりやすいかもしれません。
人間の精神を、脳細胞の集合である脳の様にとらえてみて下さい。
脳細胞1つきりでは、思考する事が出来ません。
ニュアンスとしては大体そんなカンジです。
果たしてこの時、コギト命題は成立するのでしょうか?
馬鹿な俺にご教授下さい(笑
所詮素人のテキトーな思いつき。おそらくどこかしらで破綻しているでしょう。
まあ、何にせよ興味の尽きない話題です。
[2009/10/09 Fri]
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君の知らない物語
やばい。
この曲に恋した。
[2009/09/14 Mon]
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音楽
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「零の発見」〜様々な深さから読む事が出来る名著〜
今回は、最近読んだ吉田洋一著「零の発見」の感想を書こうと思います。
この本は、普段何気なく使っている「0」という数字がいかにして発見されていったのかを、様々な角度から見てみようという本です。
驚く事に、初版は1939年。けれど、まったく古臭くない、とても不思議な本です。
この本は、「零の発見ーアラビア数字の由来ー」、「直線を切るー連続性の問題ー」という二つの章から成り立っています。
「零の発見ーアラビア数字の由来ー」は、どのようにして現在使われている算用数字が世界に広まったのかという事を、歴史的、文化的な視点から説明しています。
算用数字という「概念」が、技術や宗教などの影響を受けながら、少しずつ世の中に伝搬していく。こういう話は他ではまず触れる機会はないのではないでしょうか?
また、コンピューターの話も出てきます。今となっては馴染み深いものですが、こんな古い本にコンピューターの記述があるというのは、なんというか、著者の先見の目が末恐ろしい。
興味深い話ばかりなのですが、ネタバレするのでこれ以上は禁則事項です☆
「直線を切るー連続性の問題ー」では、少しだけ数学の世界に立ち入って、直線の連続性の問題について記述しています。
最初は簡単な数列と幾何学から始まり、直線の連続性(微分の基礎)から、曲線の長さや表面積の大きさの定義まで話が進みます。
この章は、少し具体的な形で数学の概念が出てきますが、高校数学を鶚Cまで取っていた方なら問題なく読み進める事が出来るかと思います。
けど、死ぬほど数学がキライだった人は危険かもしれません(苦笑
また、面白いのが、一見「0」とは全く無関係に思えるこの章は、「0」という概念なしには成り立たないものばかりで構成されている、と言う事です。
しかも、著者はその辺を計算し尽くしているらしく、本当にニクい演出だなぁと思いました。
「0」という複雑怪奇な数の正体は、自分の目で確かめて欲しいという事でしょう。
この本の名著たる所以は、込み入った数学の知識なしで読み進められること、
誤読や解釈の違いが生じないシンプルな表現が使われているということ、
個人の数学の知識にあわせて段階的に読む事が出来る多層構造になっているということ、
そして何より、この薄い本が数学的知識の巨大なインデックスとなっているということでしょう。
自分は、こんな本の書き方があるのかと、本当に関心させられました。
数の世界に興味のある方、一読の価値アリです。
[2009/09/09 Wed]
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本
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スカイクロラを観ました その2
その1に続いて感想などを書いていきます。
今回は、登場人物やテーマなどについて着目したいと思います。
主人公は他のキルドレと同様で、同じ姿のまま長く生き続けているため、次第に感情が摩耗し、記憶がぼやけ、平坦な人間として描かれています。
とても完成されていながら、ある意味で植物的な人物です。
対して、ヒロインは同じキルドレながらも、自分の存在に疑問を持ち、多くの葛藤を抱えている女性です。作中でも、銃を振り回す様が度々描かれており、まさに獣のような性格と言っていいでしょう。
こうして並べてみると、静と動の二元論的な人物設定になっている事が窺えます。
この作品は、暴力とはいかにして生じるものなのか、人間はなぜ暴力の特異点を解消できないのかを、二人の両極端なキャラクターで書き表したものであると私は考えます。
人が生きると言う事はどのような事なのかを問いかけたうえで、暴力の特異点は果たして解消する事ができるのかという疑問を投げかける。これがこの作品におけるテーマなのではないでしょうか。
総評ですが、アニメ作品では近年稀に見る完成度です。世間の反応はあまり芳しくないようですが。
一つの作品を何度も見返すのが好きな方にお薦めです。
[2009/09/05 Sat]
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スカイクロラを観ました その1
タイトル通り、スカイクロラの感想と解釈を書いていこうと思います。
ネタバレを含みますのでご注意を。
一言で言ってしまうと、これはホッブズ的な思想に基づいた映画なのではないでしょうか。
ヒロインは作中で、人間社会は同じ時間にどこかで人が争っているという、実感が不可欠であると言うような事を述べていますが、これはホッブズの思想の根底となっている、人間の自然状態は闘争状態である、という思想から来ているものだと私は考えています。
また、このセリフだけでなく、物語の舞台構造そのもの、世界全体が平和であるのにも関わらず、どこかで争いが生じているというところからも、前述のホッブズ的な考えを基盤にしているのは決定的なように思われます。
また、ティーチャーを絶対に勝つことの出来ない敵として描いていますが、これはティーチャー=リヴァイアサンとしての機能と読み取る事が可能である様に思われます。
まとめ。作中では国家という概念がまったく語られていませんし、ティーチャー=リヴァイアサンとしてしまうのはいささか強引であるという自覚はあるのですが、17世紀から18世紀の国家思想をベースに作品の社会が形作られているのは確かな様に思われます。
[2009/09/03 Thu]
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